「リア充」であることをSNSで発信するために、お金を出して架空の友人と場づくりをし、写真をアップする事業について朝のテレビで流れていた。

その事実をどう捉えるか。人それぞれ。正解不正解はない。

お金を出して、そうしたい、そのこと自体にその人にとっての意味があるのだと思う。

出会いに至るまで。

今日、バイロイト祝祭ウ”ァイオリン・クァルテット~ワーグナー・ファンの聖地、バイロイトで長年音楽祭に参加する4人による世界でも稀に見るコンサート。素晴らしかった。私にとって、転機になった桜の樹がある戸河内でこの音を聴けた幸せは言いようのない大きさだった。

このコンサートに出会えたのは、今までの学びとは違う新しい学びの扉を開けたことからだった。想像もしていなかったことが、たくさん起こり続けている。

出会いは無形資産。損得を考ると、選ばない時間もある。それも悪いことではない。

ただ、無形資産を得るには、脳で考え、費用対効果を考えた結果、動かないことを選べばチャンスロスになることもある。一方で、動いても何も得られないかもしれない。動かないか動くか。どちらを選ぶか。その葛藤の末の自ら出した答えで行動が左右される。

私は知らず知らずのうちに、迷わず、動いてきた。会社員の時の何倍だろうか・・・桁数がわからない程、人に出会った。出会える環境の扉を開けるまで、もがいていた気がする。誰かに開いてもらった扉の向こうにあるものと、自分で切り拓いて開いた扉の向こうにあるものは、きっと違う。